さかいめ

安全な場所から眺める道楽は

痛くもかゆくもないでしょう

 

実像と虚像の分別がつかなくなったなら
惑わされたふりをして爪を立てるでしょう

 

搾取した自由を一粒残らず食い散らし
最後の滴を合図に膨れた腹を撫でるでしょう

 

 怪物と化した身体は次なる獲物を求め
ぶらぶらと手足を垂れ下げ歩くでしょう

 

分厚くなっていく皮膚の下で流れるものは

 

自己と他者の境界を剥奪した先

救われることのない泥でしょう 

あの日の続きを

 新型コロナウイルスの影響で、数週間前から仕事が休みになった。

 休業が決まった日、夕方に本社から連絡があり、急いで顧客の方に出す手紙を準備し、休業の貼り紙を作成した。閉店する数分前、やり残した事はないかと洋服に囲まれた店内を見回すと、入口に置かれた鉢植えが目に入った。

 職場で育てているコスモスとスミレ。芽が出るまでもそれからも、なかなか成長が見られなかったけれど、温かくなりはじめた近頃は、驚くようなスピードで茎を伸ばし花を咲かせた。

 中央の黄色い部分から、白く小さな花びらを細やかに広げるコスモスは、慎ましくも立派に咲いている。その一方でスミレは、強い葉を持ちながらも、簡単に折れてしまいそうな細い茎と、小指の爪にも満たない大きさの花びらが頼りなく集まっており、そのうちの数本は、茎の先端から花びらにかけて萎れうなだれていた。

 植物に関する知識が無いため、この状態が一時的なものなのか、日光や気温の関係によっては再び元気になるのか全く分からなかったけれど、休業になる一カ月(今のところ)手入れをしなくなるとどうなるのかは想像ができた。この日出勤していた人と、それぞれを自宅へ持ち帰る事にし、その人は家に白い感じがちょうど欲しかったんだとコスモスを選んだ。

 仕事を終えて歩く夜の街は、人も会話も電飾もどこかに消えてしまったかのように静かだった。視界の奥まで続く街灯だけが機械的に存在し、右手に抱えた鉢の重さを急に自覚させた。自分に任されたスミレを、少し可哀想だと思った。

 

 普段の長期休暇なら、帰省や旅行を選択するだろうけど、今日からの行先は自宅一択だ。これから毎日何をして過ごそう。

 購入したままの小説を読む。数年前に読んだ本を再読する。聴いたことのない音楽に触れる。お気に入りの映画のシーンを書き起こす。海外ドラマに挑戦してみる。身体を鍛える。生活リズムを崩さない。なんて夢想して眠った翌日、起床して時計を見ると、とっくに正午を過ぎていて苦笑した。

 それから数週間が過ぎた。食料を購入するための外出以外は、一歩も外にでていない。散歩に行くのも何となく躊躇してしまう。本や映画を見ていても、次第に視界はぼんやりと空間へ移行し、家具に焦点が合った時、何を摂取しても浸透していない自分に気がつく。

 今どうしてここにいるのかを、私はどれだけ理解しているのだろう。感染拡大を防ぐ為。そう頭では分かっていても、突然与えられた莫大な時間を消化する方法だけを考えているような気がする。それでも時間を持て余し、膨らみ続けるマイナスな想像に支配されそうになっている。数日後でさえ鮮明ではない現状。先が見えなくなると、どんどん今がおろそかになる。不安という言葉を、これまで容易く使ってきたと反省するほどに不安になる時がある。終息を願う気持ちは、どんな風に役立つのだろう。

 曜日感覚が麻痺するような生活が続いていた。ただ過ぎていく時間にもたれかかっているような毎日を生活とよぶのかは自信がない。人との会話がなくなると、どんどんと自分の声が大きくなっていく。

 こんな毎日でいいのかな。今日は昨日より寒いな。外に出ていないのに、その差は感じるんだな。今日は何を食べようかな。働いてもないのにお腹はすくな。働けなくなるのなら何も食べない方が良いのかな。また夜が来たな。昨日の夜とすり替えられても多分気づかないな。こんな毎日でいいのかな。こんな毎日でいいのかな。今この瞬間も頑張っている人がいます。家にいることが大切な人を傷つけない方法です。どこかで耳にしたアナウンスが入り混じる。どこにいたって人は傷つきます。思わずつぶやきそうになったのを思い出す。

 

 テレビでは、毎日コロナウイルス関連のニュースがながれている。キャスターは深刻に、毎秒間違いのないよう丁寧に言葉を扱う。一向に減ることのない感染者数を読み上げる。その数を聞いた瞬間、身体が少しだけ重くなる。ニュース速報の音に、以前よりも敏感になった。コロナウイルスが蔓延する前は、他人の命をどこまで想像していただろう。過剰な反応は、命への冒涜になるのだろうか。

 SNSをひらく。多くの人間が叫んでいる。生命、仕事、生活、収入、補償。具体的な数字や画像が近距離で迫ってくる。命と同等である生き甲斐を奪われた人は、生まれ変わるしかないのだろうか。生き甲斐であったはずの仕事から逃げ出したくなっている人は無責任と叫ばれるのだろうか。昼夜問わず戦っている人に、仕事があるだけマシだと放つ人がいる。感染した人が謝罪している。誰のせいでもないと昨日が言う。国が悪いと今日が言う。声をあげれば誰かが否定し、その否定を誰かがまた否定する。画面をスクロールする指を止めた。家にいても、肌が触れ合わなくても、人と人は傷つけ合う。

 働く人、家庭を守る人、様々な声と戦う人、一人で考え込む人、それぞれの環境がある。全てを比較し優劣をつけると、もう何も言えなくなってしまう。行き場を閉ざした声が、体内へと降り積もる。

 

 何日目の朝だろう。窓を打つ雨の音で目が覚めた。ベランダ側の窓を開けると、想像以上の雨量だった。

 なんとなく違和感を覚え目線を下ろすと、雨に濡れたスミレがいた。ベランダに出されたまま、この雨に一人耐えているようだった。咄嗟に、あっごめんなさい、と言っていた。久々に聞いた自分の声よりも、それが敬語であることに驚いた。

 傾けた鉢皿から流れ落ちる雨水が手首をつたい、数滴の雫が足の甲で跳ねる。不思議と冷たさは感じなかった。急いで部屋へ入れようと鉢を両手で持ち上げる。指先に力が入った。記憶とは違う感触だった。

 あの日の帰り道よりも、スミレは重くなっていた。塗装の欠けた鉢、水分を含んだ土、スミレの体重。支える指先に命の速度が伝わっていく。少しずつ少しずつ、この鉢の中でスミレは根を伸ばしていた。その重力にどんどんと引っ張られていく。

 カーテンの隙間に手を伸ばし陽が昇るのを待った朝も、身体を折り曲げたままソファーの上で過ごした半日も、スーパーのレジで伝えた大きめのお礼が明らかに不自然になった夕方も、スミレはここで生きていた。

 直径10cmの円の中で、雨粒を光らせた紫色の花びらが輝いている。開花を目指す華奢な蕾がひっそりと佇む。それを支える葉脈の美しい葉についた水滴を、指でそっと拭きとった。弱ったままの花や茎も、どれもがスミレとして存在している。直径10cmの円の中、今日も天を見上げている。

 部屋の中に鉢を移動させて、濡れたままの窓辺と床を拭いた。ふと顔を上げると、ひどい寝癖と血色の薄い寝起きの顔面がガラス窓に映っている。寝巻き姿で雑巾片手にひざまずく朝。滑稽だなあ。足元からじんわりと体温が上がっていった。さっき、必死だったよなあ。必死になった。足の裏に付いた砂を払うと、ベランダで踏んだ雨の冷たさが蘇った。良かった。まだ自分は残っていた。たった数週間で無くなるはずもなかった。

 水やりをして日光にあて、最低限の育成をしていたつもりの自分と、日々の天候にさえ無関心になった自分。家にいる不安と納得を繰り返す自分と、見えない場所で奮闘する人に負い目を感じる自分。全部が今の私。恥ずかしい程、不安定な今の私だ。そして今日も、家にいる。

 

 

 自動ドアが開いて、生ぬるい風が入り口付近のラックにかかるワンピースを揺らした。

 「い、いらっしゃいませぇ」

 数カ月ぶりとはいえ、あまりのたどたどしさに笑ってしまいそうになった。心配になってお客様の方を見たけれど、こちらを気にする様子はなく店の奥へと進んでいった。

 久々の仕事に久々の接客。通勤も電車も、何もかもが久々で少し緊張した。改札を出る時、PASMOをタッチするタイミングを間違えないか心配になるほどで、上手くいった後は、それだけで自分を褒めてしまいそうだった。

 あれだけ誰にも会わない生活をしていたのに、今日からは多少の規制はあるけれど、自由に人と会えるし、顔を合わせて会話ができる。それでも出勤後に始まった自粛あるあるに参加しなかった自分に、今日からまた接客業ができるのかと不安になった。

 「すみません、これ試着してみてもいいですか?」

 さっき入店したお客様が、壁にかかったカーディガンを指さしている。

 「はい、かしこまりました。お取りいたしますね」

 木目調のテーブルとシルバーラックの間を通りながら、口角を上げ直し、壁にかかったハンガーを手に取った。お客様を一番近い試着室へご案内し、カーディガンのボタンを外しながら会話の導入を考えていると、鏡の前で彼女が言った。

 「それ、すごく綺麗な色ですよね。真っ先に目についちゃって。水色って普段着ない色なんですけど、なんかこう、気持ちが上がりそうな感じがして」

 自分から会話を進めるべきだったのに、気を使わせてしまったのではないかと思ったけれど、穏やかな口調につられて自然に笑顔になった。気持ちが上がりそう、の言葉を汲み取るべきか一瞬迷ったけれど、野暮だと思いやめた。

 「夏らしいお色ですよね。でも主張しすぎないですし、合わせやすいかと思います」

 右腕から袖を通し、彼女の一歩後ろに下がった。同い年くらいだろうか。白い肌に淡い水色が良く似合う。

 「ああ、もうすぐ夏なんですよね。春を感じる間もなかったから。じゃあ逆に、羽織りじゃない方が良いのかな」

 「わかります。今年はお花見もできなかったですしね。こちらは素材がリネンなので、通気性も良いですし、日焼けや冷房対策でもお使いになれますよ」

 説得したいわけではなかったけれど、少しでも長く話していたかった。その間、私は店員として存在できたし、彼女の自由を数秒でも広げたかった。

 「なるほど。じゃあこれにしようかな。お願いします」

 想定より早い購入に驚いたが、胸元で手早く畳まれたカーディガンを受け取り「ありがとうございます」と一礼した後、レジへと向かった。

 カウンターを挟んで対面した彼女は、買い物を終え満足したのか、入店時よりも柔らかな雰囲気をまとっていた。

 カーディガンを軽く検品し、襟元のタグについた値札を切り取り、電卓をたたく。一連の動作が身体に染み付いていることに安心した。

 「お店っていつから再開したんですか?」

 彼女の声に、視線をあげる。

 「あ、すみません、お店は今日からなんです。少し前に営業許可は出てたんですけど」

 金銭を扱う時には、つい無言になってしまう癖も染み付いたままだった。

 「そうなんですか。まだお休みされてる所もありますもんね。駅前もやっぱり人が少なかったです」

 自粛解禁といっても、ウイルスが完全に消滅したわけではない。解放感よりも危機感が残るのは当然だった。現に、私たちはマスクをして向かい合っているし、街の空気は動揺や警戒を含むように乾いたままだ。

 「私、休業とかは仕事柄なくて、変わらず働いてたんですけど、ずっと不思議な感じだったんです。いつもやってる事なのに、何かが違って。今まで何度も見てきたものが、急に見たことないような顔するんです。職場に居ると、段々と別世界で生きてるような感覚になるというか、隔たりみたいなの感じるんです。おかしいですよね」

 さっきまでの安堵した表情から一変し、心もとない様子で彼女は言った。

 「今日は久々の休日だから家に居ようと思ったんですけど、気づいたら出てきちゃってました。でもあれですかね、自粛解禁して早々に買い物って、それはそれで不謹慎なんですかね。まだ営業できないお店もあるのに。そういうの、わからなくなりますよね」

 緩やかな語尾が、着地を求め漂っている。電卓を持ったままの手が少し汗ばむ。そんな事はないです。お仕事、本当にお疲れ様です。そう言いかけた。すぐに消えてなくなりそうな薄い言葉が口元で溺れる。何か言おうとしても、全て違う気がした。店内において洋服を除外した関係は、ただの人間同士なのだと、目の前に置かれた水色のカーディガンを見て思う。

 すると彼女は沈黙を引き取るように、肩にかけた鞄から財布を出した。

 「ごめんなさい、こんなに長々と。お会計ですよね。あれ、カードどこにやったかな。ちょっと待ってくださいね」

 「あ、いや、全然、全然大丈夫です。あの、ゆっくり、探してもらって」

 一体、何が大丈夫なのだろう。安易な表現で時間を埋める自分が情けなかった。

 財布の中を覗き込むように彼女が俯く。髪の根元が随分と伸びていた。地毛の色と染色した栗色との境目が濃くなっている。数分前に出会った、名前も職業も知らない彼女が懸命に働く姿が浮かんだ。

 誰かの生活や命を支えていた人。それは私かもしれないし、これから出会う人かもしれなかった。水色のカーディガンを見つめていた彼女は、この数ヶ月どんな色に囲まれて生きていたのだろう。私が家で過ごした数ヶ月。

 久々の休日。彼女は自分の世界を確かめるために家を出た。閑散とした駅前をぬけ、街中を歩く。人とすれ違うと、何だか安心して、ほんの少し後ろめたくもなった。角を曲がると、商店街の奥に洋服屋がある。迷いながらも入った店で、水色のカーディガンを見つけた。好きだと思った直感に、洋服の感触に、彼女は自分を確かめる。そしてまた、明日も別世界で彼女は働く。往復が続いたある日、境界線は消えるだろうか。彼女の目に映る隔たりは、時間と共に溶けるだろうか。この人に、不謹慎だなんて便利な言葉は似合わない。

 

 出口の前で、ありがとうございました、と彼女が振り返った。紙袋を手渡そうとした直前、喉の奥がきゅっと立ち上がる。

 「あの、このカーディガン、きっと、長く使っていただけると思います。来年の夏も。再来年も」

 彼女は微笑んで、小さく頷いた。

 「私、最近ずっと、その日のことだけを考えて生活していたんです。先のことを考えると不安で。正直今日も、とりあえず一日を終えようって思ってたんですけど」

 赤面していく自分には、気づかないふりをして続けた。

 「でも今日、このカーディガンを羽織られた姿を見て、夏が待ち遠しくなりました。海とか思い浮かべました。あの、何ていうか、季節は巡ることを思い出しました」

 本来ならもっと、伝えるべき事があったのかもしれない。ボトムはこれが良く合います。お洗濯は手洗いを推奨してます。そういう類の店員らしい事を言えれば良かったけれど、その特性は随分前から抜け落ちていた。

 「海、いいですね。今年もまた暑くなりそう」

 そう言って彼女はガラス越しに空を見上げた。緩やかにカーブしたまつげが扇状に広がっている。

 「カーディガン、大切にします。これから、いろんな場所に着て行こうと思います。ありがとうございました」

 マスクで隠れた口元を想像できるほど、彼女は大袈裟に笑った。どこまでも優しい人だと思った。

 自動ドアが開くと外の風が舞い込んできた。湿度と涼しさが一度に肌を撫でる。一歩外に出ると、微かに頭上が熱くなった。

 「ありがとうございました。またお待ちしてます」

 お辞儀をして、紙袋を渡した。彼女は、ありがとうございました、と会釈をして、駅の方へと歩き出した。

 彼女が足を進めると、今という瞬間が、強烈に私の全身を打った。巨大な波のように、今が目の前へと押し寄せる。白く光るコンクリートから、前髪を揺らす午後の風から、今の匂いがしている。彼女の歩幅に合わせて、私は今を踏みしめた。彼女の背中を見つめて、私は今と対面した。今が、動き出している。

 ゆっくりと息を吸うと、胸の奥が次第に広がり、幾つもの今が一斉に放たれた。家の中で蓄積されていた時間。使い捨てのように扱った今が、太陽の光を浴びて舞っている。散っていく今の続きがここにある。入口に置かれたスミレが、陽に向かって咲いている。

AIM

2020.02.01
‪「AIMYON TOUR 2019-SIXTH SENSE STORY-」‪

 初めて行ったあいみょんのライブ。
 何度も聴いてきたはずなのに、ライブを通して感じる曲の鮮やかさと温かさに驚いた。POPSってこういうことなのかなってぼんやり思った。最前線で響きながらも誰のことも置いていかない。
 前にいた男の子、左側にいた女の子、後ろの恋人たち、一緒に行ってくれた妹。側にいる人たちの空間を壊したくないと思った。
 揺れる肩から伝わる喜びも、横目で見えた一筋の涙も、MCの合間に聞こえてきた会話も、誰かの時間と自分の時間の交わりを、あいみょんの歌が近づけてくれた。音楽を愛するように、人を見つめられたら良いのに。綺麗なことを思いたくなった。
 触れた空気は、明日も明後日もずっと持続してくれそうで、終演後の外気に少し怯えた。

 あいみょんに魅了された二月の始まりでした。

ルミネtheよしもと最高でした。

 舞台が暗転して出囃子が鳴り響く度に胸が高鳴った。

 センターマイクへと向かう姿の凛々しさ。疾走感のある掛け合い。滑らかなテンポで積み重ねる言葉。時にそれを惜しむ事なく崩壊し、声色と表情を操り何役にも化す。漫才という生き物は、輝きの中、言葉と笑いの粒子を弾き飛ばしていた。

 コントのステージを見ていると不思議な感覚になっていく。劇場は一瞬で、放課後の教室や雪山の山荘へと変化した。小道具の一つ一つが速度を増して意味を成していく。想像力を引っ張られる快感と心地よさで、日常との境界線をどんどんと超えていった。

 駅ビルの最上階に充満する笑いのエネルギー。次々と繰り出される笑いは、閉ざされた空間で交わす秘め事のようでわくわくした。

 眼に映るものが全てフリなのかもしれないと錯覚した帰り道。あ〜私にもボケる力があったらなぁ。

母の声

「よく頑張りましたね」
   突然届いた母からのLINEを見た時、一体何のことだか分からなかった。自分が褒められるようなことをした覚えもなければ、30代の娘が受けとるには少しこそばゆく感じるその言葉をしばらく眺めていると、「当選したんやって、おめでとう」と続けて送られてきた文面に、やっと心当たりがあった。

 先月、父と電話した時のこと。月に一度、出張に行く父は、そのタイミングで電話をかけてくれる。仕事、健康、家族、結婚。いつも父の話すルーティーンは決まっている。それぞれについての近況を聞かれるけれど、目立って報告できるようなこともなく、申し訳なさを隠すように相槌をうつばかりで終わってしまう。

 まぁ元気やったらそれでええねん。と、電話の切り際に必ず言う父の優しさに、本当はそれを言うのは自分だよなと感じつつも、来月は何かしら面白い話がしたいと思いながら電話を切る。

 そんな月に一度の電話で、先月は私にも報告できるような事があった。音楽文という媒体に投稿した文章が、優秀賞を受賞したのだ。受賞を知った日の夜、その事実と自分の技術との狭間で、書くという行為について一人で悶々と考えていた。答えを出したいわけではないからこそ、絡まりあう思考回路を誰かに遮断してほしかった。そんな時、父から電話がかかってきた。

 着信を知らせる画面を見ながら、あぁ今日か。と思うと同時に、このタイミングで話ができることが嬉しかった。いつもの口調で、いつものルーティーンを話し終えた父に、受賞を伝えた。伝えながら、これは単なる自慢なのではないかと客観的に思う自分がいた。この歳になっても、自己承認を父親に乞う厄介な娘なのではと、私の思考回路は熱を帯び過ぎていた。けれど、そんな想いを一蹴するかのように、父はとても喜んでくれた。読書家の父は、好きな本の話をした後、自分の好きなことを極めるのは、しんどいんやで。と言い、まぁ元気やったらそれでええねん。と、いつもより大きめの声で言った。

   その電話のことを、父から聞いたのだろう。母の言う当選とは、受賞のことだった。当選って、宝くじじゃないんだから、と返信しそうになったけれど、確かにそれと似たようなものだと思った。

 書いた文を送ってほしいと言われ、少し緊張しながら送信した。8000字くらい書いたから、読むのに10分くらいはかかるだろうし、対象の歌手のことも良く知らないはずだから、どんな感想を持つのかと思っていたら、3分後に着信が鳴った。いや絶対読んでないやん、と思わず一人でつっこんでしまった。LINEを開くと、「子供の頃から文章を書いていたね」という一文があった。それを見て、忘れかけていたある記憶が一気に蘇ってきた。

    小学生の頃、9月がくるのを必死に拒んでいた。当時の私にとって9月とは、終わりきれていない夏が無理矢理に秋にかき消される月であり、それは強制的に運動会の練習が始まることを意味した。

    私は内向的で自意識が強く、他人の目を気にしてばかりいる子供だった。本と空想が友達でマイペース。何をするにも人より少し遅かった。インドアで運動は大嫌い。校庭は敵だと思っていた私にとって、大勢の人に見られながら運動をするという、苦手が掛け合わされた運動会は一番の恐怖であり、毎年中止を祈っていた。

 なかでも徒競走が大嫌いだった。幼稚園児の頃のかけっこで、壊滅的に足が遅いことに気づいた時、悲しさよりも恥ずかしさが勝った。人生で初めて味わう競争という経験に理解は追いつかず、足が速いことが正しいことなんだと子供心に強く思った。それから毎年、徒競走は最下位。恥ずかしさと情けなさと共に走る距離は長く、外周で見ている家族のことだけを思いながら走っていた。父も母も、順位が何位だろうと関係なく、出番を終えて戻ってくる私をいつも変わらず迎え入れてくれた。それに安心してしまう自分も悔しく、最終プログラムの選手リレーでは、声援を浴びて走るクラスメイトを笑顔で応援する母の姿を見つめながら、視線の先にいない自分が不甲斐なくて仕方なかった。

 運動音痴というコンプレックスに降参しようとしていた小学3年生の頃、私に転機が訪れる。二歳下の妹が入学してきたのだ。姉として良い所を見せたいと、小3の自意識は爆発することになる。リレー選手には、どう頑張ってもなれないことは分かっていた。けれど、努力すれば、最下位は脱出できるのではないかと考えたのだ。今まで当たり前のように、最下位である「6」と書かれた旗の下に並んできたけれど、今年こそは違う数字を見上げるんだと、心に決めた。

 それから運動会までの一週間、いつもより早く起きてランニングを始めた。今思えば一週間という期間も短いし、徒競走に対してランニングをすることにも整合性がないように思うけれど、当時の自分の精一杯だったのだろう。母は何も聞かずに毎朝送り出してくれた。

 そして運動会当日。私は「5」の旗の下にいた。この一週間「3」の旗の下にいる自分を夢見ながら過ごしてきたはずだった。

   スタートを知らせるピストルが鳴って、無心で走った。目の前の人数が、5人から4人になって、3人になりかけた瞬間、その事に少し戸惑ってしまい、気づけばそのままゴールしていた。もう少しで4位になれたのに、弱気になってしまい最後は抜けなかった。そういう自分の性格も嫌だった。

  退場門をくぐるまでに涙がひくことを願いながら、みんなと足並みを揃え門へと向かった。俯いたまま走っていたその時、「良く頑張ったね!」と退場門の側にあるブランコの方から声がした。その方向を見ると、母が手を振りながら、「良く頑張ったね!練習の成果が出てたね!」と潤んだ瞳で叫んでいた。周りが一斉に母を見た。その時の自分は一体どんな顔をしていただろう。いつも他人の目を気にして、恥ずかしさを感じながら生きていた自分が、恥ずかしさよりも、誇らしさを覚えた瞬間だった。退場門を出て、今すぐ母の元へ駆けつけたい。けれど、そんな目立つことはできるわけがなく、何度も頭の中で母の声を繰り返していた。

 

   その後の授業で自由に作文を書くことになり、私はこの事を書いた。内容をはっきりと覚えてはいないけれど、母へ直接ありがとうと伝えられなかったことを、作文にしたのだと思う。

  言葉では直接伝えられないことを文章にする。それは子供の頃からの癖のようなものだった。言葉にできない感情を、文章にすると心が落ち着いた。書くという行為は、自分自身の吐露でしかなかったから、その作文が学年代表として学校文集へ掲載されることを知った時は、少し戸惑った。それは、上手く伝えられない事を、人前で大きな声で叫んでいるような矛盾を感じさせた。けれど、不思議とそこに恥ずかしさはなかった。今思えばこれが、文章というものを初めて意識した経験だったと思う。

 作文を、誰よりも喜んでくれたのは母だった。何度も繰り返し読んでくれた。足が速くなくても、運動が出来なくても、自分が母を笑顔にできるということを、その時に教えてもらった気がした。それは、自分にとって衝撃的であり、何にも代えがたい幸せだった。

 

   あれから20年以上経って、もう一度「よく頑張りましたね」という言葉が巡ってきた。

  あの時の、速く走る為の努力は、家族を喜ばせたい一心だったけれど、今自分がやっていることは、自分自身の為だと思う。正確に言うと、まだ自分自身の為にしかになっていない。父との電話で報告できる事がないように、家族を喜ばす事からは遠ざかっているし、迷ってばかりいる。けれど、そんな日々の中でも、自分が喜んでいるのが分かる。書きながら探しながら迷いながら、私は喜びを見つけている。

 克服できない苦手なものは、まだいくつもある。他人の視線は避けられないし、育ててきたはずの価値観も揺らいでばかりだ。けれど、沢山の困難の中でも、守っていきたいものが分かるようになってきた。家族にもらってきたものを、返すでもなく、残すでもなく、生かしていきたい。私なりの方法で。

   今月の父との電話では、もう少し今の自分の話をしてみよう。次に実家に帰った時は、母と文集を開いてみよう。そしてまた、文を書こうと思う。

積み重なった声の行き先〜菅田将暉 LIVE TOUR 2019 「LOVE」を見つめて。〜

2019年9月5日。「菅田将暉 LIVE TOUR 2019 “LOVE”」 東京公演初日。

満員のフロアの中、開演を待ちながら私はどこか不思議な想いでいた。

菅田将暉のライブに来るのは初めてで、全曲知ってはいるけれど、正直なところ歌えるかと聞かれたら自信はないし、これまでの活動をずっと追いかけ続けてきたわけでもない。倍率20倍だと聞いた今回のツアーには、もしかしたら私よりもふさわしい人が来るべきだったのかもしれないと、ライブグッズを身に纏ったファンに囲まれながら思う。

だけど、このライブに行きたくて仕方なかった。歌声が聴きたくてたまらなかった。今日まで聴き続けてきたアルバムの実像を、私は掴みたかった。

 

2019年7月10日に発売された菅田将暉のセカンドアルバム『LOVE』。

二ヶ月が過ぎようとする今でも、毎日といっても過言ではないくらいこのアルバムを聴いている。「良い」とか「最高」とか「素晴らしい」とか、称賛の言葉だけではまとまらない何かが私の中に棲みつき、その感情とこの二ヶ月暮らしてきたけれど、それが一体何なのか。疑問と心地良さを抱えながら、11曲47分を繰り返しているのだ。

 

2017年に歌手デビューする前から、俳優・菅田将暉の活躍は充分に知っていた。単館上映の映画が好きな私は、観る映画に良く出演している彼の存在を、個人性を高める活動をしている俳優の一人だと、勝手ながら認識していた。

スクリーンの中の菅田将暉は、社会の隅でもがき、自分の不器用さに苦悩し、時に狂気の中にいた。異なる役柄を演じながらも、一貫して漂う独特な空気。形容しがたい存在感を魅力的だと感じた。

そのせいか、歌手デビューを知った時、自分の抱く印象とすぐには結び付かなかった。数年の飛躍ぶりを考えると、この選択肢もあるのかとも思うけれど、菅田将暉が纏う、不思議な気配が薄れていくような感覚をどこかに覚える。今までみたいな作品には出なくなるのかなぁと、先走る妄想を止めるかのように、頭の中に浮かんできた映像があった。

それは、いつか観たバラエティー番組で、吉田拓郎の『人生を語らず』をギターの弾き語りで一節歌っていた姿だ。息を多く含んだ声と、どこか朴訥で自由な歌い方は、曲と抜群に相性が合い、この人は自分を良く理解しているんだろうなと思った。ギターは確か初めて間もないと話していて、その少しぎこちない所作とは反対に、歌いっぷりの良さが気持ち良く、選曲と歌声に表れた菅田将暉の素顔に、強く惹きつけられた記憶がある。それを思い出した私は、どんな曲でデビューするのか興味が湧いていた。

 

 2017年6月7日。デビュー曲『見たこともない景色』は、王道とも感じるギターロックだった。一度聴くと忘れない耳に残るリフと、サビのキャッチーさ。<泥臭くていい かっこ悪くていい そこから見える景色 同じ景色を見よう>背中を押す熱く前向きな歌詞。

サッカー日本代表の応援CMソングに使用されたメッセージ性の強いこの曲を、今の菅田将暉が歌う事に意味があるのだと私は解釈した。

疾走感のある早いテンポに、文字数の多い歌詞と高音が続く、歌唱力が問われるであろうデビュー曲を、彼は見事に歌いあげていた。フォークソングにぴったりと重なっていたあの声は、高らかにロックを鳴らしていて、菅田将暉は多才なんだなぁと、謎に寂しくなった。

あまりにも整いすぎた歌手デビューを前に、これは俳優が音楽活動を始める芸能文化の1ページにすぎないのか、何か大きなプロジェクトの一環なのかと、これまで目にしてきた、スクリーン内の菅田将暉との距離を脳内で往復する。きっとすんなりと受け入れる人が大半だろう。何も思わない人もいるかもしれない。これは身勝手な聴き手の懸念なのだと自分を抑えた。

歌手デビューは菅田将暉にとって新たな挑戦であることに間違いなく、決意表明にも似た気概ある歌唱に、感服するような気持ちになったのも事実だった。けれどその日以降、私は菅田将暉の音楽を聴く事はなかった。

 

それから約一年半後の2018年12月。生放送の音楽番組で、3rdシングル『さよならエレジー』を歌う菅田将暉の姿があった。

これまで発売された数曲を、ふと耳にした事はあったけれど、久しぶりに真っ正面から聴く歌声に、良い声だなぁと思わずつぶやく。この歌声を初めて聴いた、あの時の感覚が蘇る気がした。

『さよならエレジー』の、歌謡曲を感じるアレンジと叙情的な歌詞が、菅田将暉の持つ声の深みと溶け合い切なさを倍増させている。低音にこもる憂い、サビでの高音は、狙った音程を捉えた後さらに遠くまで響いていく。ああ思い出した、この声の距離感。

もう何年も前に聴いた、始めたばかりのギターで奏でたほんのワンコーラスは、二番の途中で歌詞を忘れて中断するというオチまでついた、出逢い方としては拙いものだったかもしれない。それでも、あの時の記憶がずっと頭の片隅にあるのは、この歌声が私の胸の中で着地したからだ。

菅田将暉の歌声は、形を変えてこっちへ向かってくる。

時には言葉を側におくように、時には波のように揺れながら音の隙間を自由に行き来し、時には迷いなく直線的に放たれる。その自在な声の飛距離は、聴き手の感情に比例し、いつの間にか心のあちこちに足跡のように残るのだ。

テレビに映る姿を観ながら、自分が通り過ぎてしまった一年半の音楽活動を考える。左足でリズムをとることも、語尾まで丁寧に歌うことも、嬉しそうにバンドメンバーを見つめる回数が多いことも、何よりも、こんなにも全身全霊で音楽を楽しんでいるなんて知らなかった。

菅田将暉にとって音楽は、無くてはならないものへと存在を変えたのだろう。そして今も変わらず音楽に挑み続けている。歌う彼の瞳は、声が届くもっとその先を見つめているようだった。

歌手デビューを知った一年半前、理想像を押し付けて勝手な枠組みを作った、過去の貧しい価値観がみぞおちの奥でうごめく。その時に抱いた疑念が、俳優活動との両立でさらに磨かれた表現となり、自分に跳ね返ってくる。今からでも遅くないのなら、菅田将暉の音楽を知りたい。テレビ画面を見ながら、この歌声と出会いなおせたことを痛感した。

 

それから7カ月が過ぎた、セカンドアルバム『LOVE』の発売日。店頭でCDを購入するのは、いつだってワクワクする。

真っ黒な背景のジャケットには、手書きで綴られたLOVEの文字と、肩からギターをぶら下げ顔を伏せたまま、両手を前に差し出して輪を作る菅田将暉が映っている。顔を映さないジャケット写真。これが何を意図するのかと考えるとまたワクワクが増す。(私が購入したのは、初回生産限定盤で、その他に通常盤・完全生産限定盤と、三形態それぞれジャケットは異なる)

『LOVE』はタイトル同様、菅田将暉が敬愛する豪華制作陣の参加により、発売前から話題を集めていた。もちろんそこに興味はあったけれど、菅田将暉が何を歌うのか、音楽を通して何を想い、求め、考えているのかを知りたかった。

米津玄師、石崎ひゅーい、秋田ひろむ(amazarashi)、柴田隆浩(忘れらんねえよ)のそれぞれが提供、参加した楽曲が続いた後、菅田将暉自身が作詞作曲を手掛けた『ドラス』が始まった。勢いよくギターとドラムが重なるパンクサウンドに胸が高鳴り、歌い出しの歌詞を聴いた一瞬、時が止まる。

〈勘違いしないでくれ

   このドラマに最終回なんてものは多分ないんだ〉

 数々のドラマに出演し、最終回を迎えては、また新たな作品を送り出してきた菅田将暉が、曲の冒頭に選んだ言葉。それは俳優として、もの作りを生業とする人間として、膨らみ続けた叫びに聞こえた。

ドラマ、映画、音楽、文芸、美術、挙げていけばキリがないほど、この世界は創作で溢れている。その多数の選択肢から、私たちは好きなものを意識的に選び取っているのだと思う。そうしてこれまで手にした作品は、自分の何に形を変えたのだろうかと考える。時が経つにつれて、忘れてゆくのは自然なことかもしれない。けれど、作品と共にあった時間の中で、一体どれだけそこへ心を傾けたのかと胸に問う。ドラマの最終回、映画のエンドロール、曲のアウトロが終わると、同時に繋がりを絶つことに慣れてしまってはいないか、自分の中の流行で、使い捨てるように扱ったことはないだろうか。

『ドラス』はこうも呼びかける。

〈頬を伝う透明な液体を

   すごいねで片付けちゃうのは

   なんだか寂しいね〉

退屈な日々を変える何かを探し、作品の向こうへ期待を寄せる。圧倒的な表現を、立ち竦むほどの感動を芸術に求める。それでも、受け取った感情の行き先をうまく決められずに、言葉足らずのまま置き去りにして、また消費を続ける。それは、観たつもり、聴いたつもりにはなっていないか、今ここで私たちは振り返るべきなのだと思う。

〈あぁ憧れたあのディレクターは

   五臓六腑を抉ってトロフィーを受けた

 唖然とたじろぐ我々を尻目に

   ワインを呑みほし一人で真っ赤に燃えて眠った〉

作り手の葛藤と創作に没入する美しさが描かれた歌詞に、どこか物悲さを覚えた。

私たちは、今観ているドラマが少しずつ出来上がっていく様子も、今聴こえる曲にどれだけの時間が費やされたのかも、作品が誕生する瞬間も知らない。だからこそ、できることがあると思いたい。先入観を捨て、想像力を超え、目の前のものと向き合ってみる。その時間と力は、やがて捧げられるトロフィーへと変わるのかもしれない。

駆け抜けるようなスピード感が、間奏後にふっと緩まり、静った空間にギターが響く。その音色に合わせて、語り掛けるように聴こえてくる声。

 <もう少しいっしょに夢を見ようよ

   目が醒めることを言わないでよ

 わかってるから わかってるから

 夢を見ようとしているんじゃないか

   だからもう少しいっしょに夢を見ようよ>

フィクションという夢を生きる時間と、現実を生きながら夢を見る時間。二つの世界が共存する、俳優であり歌手である菅田将暉にしか作れなかったこの曲は、溢れる創作と娯楽の中で迷っている私たちへの道しるべのようだ。

現実から離れるためではなく、現実を助けるために夢を見る。

菅田将暉の歌う夢は、きっと盲目的になることではなく、しっかりと眼を開き、現実を見つめるためのもので、この曲もこのアルバムも、菅田将暉が見せてくれる夢だとしたら。

この夢の中で、心を開き、思考し、どこまで踏み込んでいけるのか。 包まれているようで試されているのかもしれないと思ってしまうほど、パンクロックの中で放熱された菅田将暉の叫びと歌声に命を感じていた。

 

『LOVE』に収録されている11曲は、どれも個性的で似通わない。カントリー調のサウンド、荒々しくもどこか渇いたロック、しっとりとしたバラード。個々として成り立つ世界観を持ちながら、1枚のアルバムとして聴いた時には、バランス良く存在している。

その音像の中で歌われる、君と僕。私とお前。僕とあなた。僕ら。菅田将暉の音楽には、いつも相手の姿がある。その場所で生まれた愛情や葛藤を自己完結しようとせず伝え続ける音楽は、独りよがりにならない強さを教えてくれる。

むくむくと広がり続けるアルバムへの想いを抱えながら、私はライブの日を待っていた。

 

 

初めて見るステージ上の菅田将暉は、どこまでも自然体だった。

手首をくるくると返しながら、細い身体をくねらせてリズムの中で踊り、バンドメンバーを振り返って、子供のように飛び跳ねては楽しさを共有する姿に、役名も、制限された画面やフレームもない、歌手・菅田将暉がここにいることを自覚する。

始まってから一向に冷めることのない熱気と歓声に、これだけの人が彼を待っていたのかと驚いたけれど、自分ももちろんその一人で、俳優を本業とする菅田将暉の音楽が沢山の人に知られるのは、とても意味のあることに思えた。

ライブ中盤、米津玄師が作詞作曲、プロデュースした『まちがいさがし』が始まると、それまで会場を包んでいた興奮は静寂へと変わった。

まちがいさがしの間違いの方に

  生まれてきたような気でいたけど

  まちがいさがしの正解の方じゃ

   きっと出会えなかったと思う〉

キーボードの音色が優しく寄り添う歌詞を、一つ一つ噛み締めながら歌い始め、ストリングスが響きわたるサビでは、湧き上がる想いを解放するかのように両手を広げる。連なる高音の音階を丁寧になぞりながら、途中、歌声が高まる感情に覆われるような瞬間があった。それは、菅田将暉自身も初めて知る感情が、この曲を歌うことで芽生えた瞬間を目撃した感覚だった。米津玄師から受け取った『まちがいさがし』を歌うことの意味を、彼は今でもずっと、考え続けているのではないかと想像させた。

楽曲提供を多く受ける菅田将暉にとって、曲の向き合い方とは、歌い慣れていくものではなく更新されていくものなのかもしれない。その姿を見ながら、いつかまたこの曲が聴ける日を夢見た。

 

ライブは続き、次々と『LOVE』の曲が披露される。アルバムでは終盤に収録されている曲が、ライブでは序盤に披露されたり、もちろんその逆もあった。(え、ここで来るのか!)(まだ心の準備が…)(待ってました!)と一喜一憂する自分が可笑しく、どうやら頭の中では、収録順で記録されていることに気付いた。それぞれの曲の前後関係や、タイム感まで、どこかうっすらと身体に染み付いていて、聴き続けてきた曲のはずが、妙に新鮮に感じていたのは、そのせいだった。

そんな事は久しぶりで、歌詞カードを読み込んだり、クレジットを調べたり、イヤホンの左右で聴こえ方の違いを感じたり、音楽の楽しさを何度も教えてもらっているなぁと、ステージの上を見つめると、そこには誰よりもこの時を楽しもうとする笑顔の菅田将暉がいた。 

 

ライブ本編が終わり、アンコールに応えて一人で登場した菅田将暉は、椅子に座りアルバムの話を始めた。敬愛する音楽家に自らオファーし、出会いの中でこのアルバムができたこと。俳優としての自分しか知らないはずなのに、出来上がった曲には、自分自身が存在していたこと。役として生きてきた時間の中に、自分が息づいていた不思議さを覚えたこと。ゆっくりと、これまでを振り返るように話す姿は、少し安堵しているようにも見えた。菅田将暉だからこそ演じきれる役柄があるように、菅田将暉じゃなきゃ生まれない音楽に出会えていることを実感する。

それから、ある曲に触れて、想いを話した。

「今回のアルバムの中の『りびんぐでっど』っていう曲あるじゃないですか、ドレスコーズの志磨さんが作って下さった曲なんですけど」

志磨遼平(ドレスコーズ)が手掛ける『りびんぐでっど』は、ドラムとベースを軸とした音数の少ないサウンドに、不規則なリズムが絡み合い、その音の構築が癖になる奥深い曲だ。この曲の存在が、アルバムにより一層の膨らみを持たせているようにも思う。

「あの曲って、異なる言葉が並んでるんですよ。例えば…自然な演技、とか、静寂がうるさすぎる、とか。そういう表現方法でつくられてて。面白いですよね、なんか、そういうことも(音楽を通して)知れたりして」

去りゆく恋を描く歌詞には、〈おわりがはじまる〉〈あの頃のような未来を〉〈かしこいぼくは おろかもの〉など、一見、矛盾した言葉が集まっている。初めて聴いた時、不安定な心情を表現するための対比だと思っていたけれど、その後読んだインタビューで、それが“オクシモロン”という言葉の修辞法だと知った。

この曲を歌った前後ではなく、今のタイミングで話したのは、観客それぞれの想像を壊さないためなのか、偶然かは分からないけれど、改めて、菅田将暉は伝えることから逃げない人だと感じた。きっと、純粋に曲を聴きたい人もいるだろうし、それぞれの味わい方があると思う。けれど、知らないことに出会い、知識を得ることで、楽しみが広がり理解が深まることもある。菅田将暉にとって、音楽がそうであるように、わたしたちにも、それを伝えてくれているのだと思った。

 

アンコールの一曲目。ステージの中央に一人座ったままの彼は、ギターを手にとり、バンドメンバーに子供が生まれたことを受けて歌詞を書いたという『ベイビィ』を弾き語り始めた。

その姿に、ギターが良く似合うなぁと今更ながら思う。そういえば、まだ音楽活動を始める前、最初に歌声を聴いた時も、彼の手にはギターがあった。そう考えると、菅田将暉が音楽に導かれ、歌うことは決まっていたのかもしれないなぁとも思えてくるけれど、大切そうに弦を抑え、飾ることなく歌う姿を観ると、分かってくることがある。

〈ベイビィ その大きな手で

   小さな朝を 迎えにいくんだ

 ベイビィ その大きな手で

    ギザギザな  夢  を振りほどいて

  ものさし を つくれ 〉 

未来に向けたてのひらで、これから何を掴むのか。迷ったり、手放したりして、やがてそれが自分のものさしになっていく。『ベイビィ』は、可能性に満ち溢れた子供たちだけに贈られたものではなく、ものさしの尺度に悩む大人たちが、立ち止まるきっかけをくれる曲だ。自分のものさしを人に預けず、自ら作り続けてきた菅田将暉の想いが表れている。

音楽を始めた頃は、こんな風に活動が広がっていくことを、彼は想像していただろうか。様々な人や作品が巡り合わせた、ふとした始まりだったのかもしれない。彼を取り巻くあらゆるものの中で、菅田将暉は、その手で歌うことを選んだのだろう。その手でギターを弾き、その手で自分の音楽を探し続け、今ここにいる。
菅田将暉の音楽は、積み重なった意志と、出会いの結晶なのだ。

 

残り数分のライブを目に焼き付けながら、ずっと考えていた答えに辿り着く。この二カ月の間、私は『LOVE』を通して、自分を育てていたのではないだろうか。
アルバムを通して響く愛や情熱や覚悟は、生きていくための燃料のようなものだ。言葉にするだけなら美しく、眺めているだけでは傷つかない。意志を持つからこそ出会えるものだと、菅田将暉は自分自身の生き方を歌声に響かせている。そのメッセージを繰り返し受け取り、私は自分の中の“ものさし”を、見つめ直し、少しずつ育んできたのだと思う。
これからも、その“ものさし”は、ぶれたり、ねじ曲がったり、折れてしまったりするかもしれない。けれど、それはそれで良いと何だか思える。その時には、この歌声を聴き、またゆっくり自分を見つめてみればいい。

 

ライブが終わりを告げた後も、フロアには余韻が残っていた。あまりにも満たされた頭の中で浮かんできたのは、これからも、菅田将暉は歌い続けていくだろうという確信と願いだった。

完全燃焼しながらも、まだ何かが秘められているようなライブを観て、この歌声の先を見つめていきたいと、強く思った。どんなペースだとしても良い、菅田将暉の音楽を奏でてほしい。
まだ知らないその音に、どんな風に向き合えるだろうかと、未来を想う。今、ここから、また自分を積み重ねていこう。

誰もいなくなったステージが、希望で滲んでいた。

 

 

※ライブMCは、記憶を元に書いたので一語一句が正しいものではないです。
※本文に記載された歌詞は、菅田将暉『見たこともない景色』『LOVE』の歌詞カードより、原文のまま引用しています。

誰かの傘

今日は朝からひどい雨だった。休日の雨というのは、何だか罰があたったような気がして少し落ち込む。
夕方から友人と食事をする約束があって家を出た。傘を差すのを迷うくらい、雨はいつの間にか小降りになっていた。


友人と会って二時間くらい食事をした後に、喫茶店に行ってコーヒーを飲んだ。
対面に座った友人の向こうに見えるカウンターの棚には、色とりどりのコーヒーカップが陳列されていて、時折それを眺めながら話をしている自分に気づいた。それぞれに作られた地域も技法もきっと違うのだろうなと器の知識など何一つない頭で思う。
店内はいろんな景色が混ざり合っていた。入り口付近には観葉植物とホオズキが天井から顔を覗かせていて、壁には大きな油絵が飾られていた。私達が座ったテーブルの隅には橙色に灯った小さなランプと天使の置物があって、会話の途中に真っ白なそれと目が合うと、綺麗に加工された言葉にしか口にできないような気がした。

会計を済ませて外に出るとすっかり雨は止んでいた。止んで良かったねぇと話しながら傘立てに手を伸ばすと、あったはずの私のビニール傘が見当たらない。

あ〜とられちゃったんだね〜と安易に言う私に、えっえっ!と動揺してくれている友人の姿を見て、もう降ってないし大丈夫そう!と明るく伝えながら、あるドラマを思い出した。

2015年に放送されていた坂元裕二さん脚本の『問題のあるレストラン』

このドラマで(いや、坂元作品は全てそうなのだけれど)忘れる事のできないシーンがある。

主人公・たま子が、かつての恋人である門司へ自分の想いを伝えるシーン。

すっごく端的な説明になってしまうのだけれど、身近で起こっている事にまるで無関心な門司に対して、たま子が自分の言葉で内にある想いを立体化していく場面だ。

 

傘立てにビニール傘が並んでいる。最初に傘泥棒が来てその内の一本を盗んで差して帰っていく。別の人が来て、傘を差して帰っていくのだけれど、本当はそれはその人の傘じゃない。その次の人も、次の人も、気づかずに自分のじゃない傘で帰る。そして最後の人は、傘を持ってきていたのに傘が残ってなくて雨に濡れながら帰っていく。傘泥棒がもちろん悪い。だけど、次の人もその次の人も、本当にそれが自分のものか確認すべきだった。責任があるとも、謝れとも言わない。ただ、最後に雨に濡れて帰る人がいるかもしれない事を想像すべきだった。と話す。

門司には理解されず考えすぎだと一蹴されてしまうのだけれど、当時このシーンを見て号泣した覚えがある。台詞の行間やたま子が話す声の震えまで鮮明に残っているくらい好きなシーンだ。それからは雨の日にコンビニへ行くとその情景を思い出してしまう。

傘泥棒が持っていった私の傘は今どこにあるのだろうか。友人が持っていた桃色の傘ではなく、ビニール傘なら盗んで良いと思うのはどうしてなのだろうか。その時点で自分に窃盗の判断基準が備わっていると気がついた時、一体どんな気持ちになるのだろう。

だけど私は?もしそのビニール傘が思い入れのある大切なものなら、入り口ではなく席まで持って行ったのか。もし思い出のビニール傘ならもっと哀しんでいたのか。

思い出や金額に関わらず自分の持ち物が無くなる事に良い気持ちはしない。だけど私はそこまで落ち込んでいなかった。むしろ傘泥棒だ…と、問題のあるレストランの話を駅までの帰り道、興奮気味に友人に話していた。

あの台詞を間接的ではなく初めて体感できた気がした。言葉の一つ一つが自分に染み込んでいくような感覚に喜んでいるような気さえする。

普通なら落ち込んでしまいそうな出来事に遭遇したとしても、ドラマの台詞に救われることがある。そんな体験をしたのは初めてだった。

それが音楽でも絵画でも器でも料理でも、創意がこもったものは人を助ける力がある。

きっと順繰りに、助けたり助けられたりしていくものなのだと思う。その順番が巡ってきた時、私には何ができるのだろう。何を受け取りどんな風に渡せるのだろう。