米津玄師 Lemon



2月12日0時ちょうどにiTunesをひらいていた。

1ヶ月先のリリースを待てないほど、この曲の全貌を覗いてみたかった。

 「Lemon」は、愛する人を失った喪失感が綴られた曲。死という永遠の別離。

終わりのない悲しみに飲み込まれながらも、溢れ出ないよう、溺れて流されないよう、少しずつ少しずつ、きつく縛り動かないようにしていた感情を紐解こうとしていく。 歌いだし前に聞こえる大きく息を吸う音が、その決意を物語る。

「忘れた物を取りに帰るように 古びた思い出の埃を払う」

無理矢理に蓋をしたまま、どれだけの時間を一人過ごしていたのだろう。いや、きっと時間は止まったまま、今ほんの僅か秒針が震えだしたのだと思った。

 

 人を愛するということ。不完全だったものの輪郭がぴったりと重なり合い、初めからこの為に自分が存在していたのだと知る。生きる道に明かりが灯っていく。

この曲で歌われている愛は、優しく穏やかな満ち溢れた愛ではなく、深い孤独から抜け出しやっと見つけ出した祈りのような愛。

 そんな存在が消えてしまう。確かにここにいたその手触りが記憶でしかなくなる。温かさと冷たさの体温の狭間で自分には命がある事実を思い知らされ、ありとあらゆる残酷を一人背負ってしまう。

振り出しに戻ったかのような孤独のなかで、欲しい答えを聞くことはできない。その問いを投げかける事すら出来ない。

遺されたものの葛藤や迷い。

そんな、どれだけ時間をかけても出ない答えの行方をこの曲は探し出そうとしている。

 どこへも行けない悲しみ、埋める事なんてできない空虚。共に過ごした面影を一つずつ思い返してはなぞりゆく描写が曲の終盤に差し掛かり、正直な想いへと変化していく。

 「自分が思うより恋をしていたあなたに

   あれから思うように息ができない

   あんなに側にいたのに まるで嘘みたい

   とても忘れられない それだけが確か」

 止まっていた時間を紐解いていくなか吐き出された、今の想い。誰も推し量ることができない領域で伝えられる愛情が、どうしようもなく胸に刺さる。

 「忘れた物」ではなく「とても忘れられない」ことを受け入れた瞬間から、秒針は進みだす。

生きていた時間を何度も思い出し

生きている自分を赦し

生きていく事を選択しつづける。

遺されたものの人生は続いてゆく。きっとこの先も、自問自答を繰り返しながら、過去と共に現在を生きる。  

失うということに、答えを出し、理由を探す必要があるのだろうか。

最後の言葉がそれを教えてくれる。

「今でもあなたは私の光」

愛したこと、愛されたこと。それは心に宿り、光となって自らを照らす。そして、これから先に待つものに光を射してくれる。

辿り着いたり、引き返したり。その光があれば、きっとどこにいても孤独は意味を持たない。

 「Lemon」はレクイエムであり消えることのない愛の歌だった。